2011年6月16日木曜日

使徒の働き 第8章

8章

福音に耳を覆い激昂する群集に捉えられてステパノは殉教する。同じような攻撃の手は教会にも向かったため、エルサレム教会の人たちはユダヤ、サマリアの各地に散らされた。迫害が起きたことによって「エルサレム、ユダヤ、サマリア、地の果てまでも私の証人となる」(使徒1:8)と言ったイエスのことばがまさに実現することとなったが、人々は自分たちが望んでいたわけでもないのに、はからずもイエスの証人となり、福音を各地に運ぶ、いわば「志願していない宣教師」(David Guzik)となった。散らされながらも、人々はイエスの福音を各地で語るのをやめなかった。執事であったピリポはサマリアに行って福音を宣べ伝えた。その結果、多くの人々がイエスを信じたが、まだ聖霊を受けていなかった。使徒たちが来て信じた人々の上に手を置くと、人々は聖霊を受けた。魔術師だったシモンがお金を持ってきて人々に聖霊を授ける権威をペテロに求めたが、聖霊のみわざとは全くかけ離れた行為だったのでペテロに叱責を受けた。使徒たちは厳かに証しをし、また、主のことばを語って後エルサレムへの帰途についた。さらに、エルサレムまでへの道々、サマリア人の多くの村々でも福音を宣べ伝えた。一方、主の使いがピリポに現れて、「立って南へ行き、エルサレムからガザに至る道に出なさい」と言ったので、ピリポは45キロ以上も旅をして示されたところへ行って、エチオピアの宦官に福音を宣べ伝えた。エチオピアはアフリカにあり、ソロモンの頃からシバの女王を通してイスラエルとの関わりを持つ国であるが、イエスの福音が伝えられたのは、この人が初めてである。ピリポがエチオピアの宦官にバプテスマを授けた後、聖霊に連れ去られたので、エチオピアの宦官が水から上がった時には、ピリポの姿はもう見えなかった。その後、ピリポはアゾトに現れ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリアに行った。

2011年6月2日木曜日

使徒の働き 7章

7章

ステパノが捕らえられてから、サンヘドリンで弁明し、殉教に至るまでが描かれている。7章の最後の記述は、ステパノが石打の刑を受ける中、天に召される姿で締めくくられている。石打による死亡と通常は理解されるが、「眠りについた」(60節)とあることから、石が当たる前には既に天に召されていた、とする説(David Guzik) も有力である。偽証人が立てられ、「聖なる所と律法とに逆らうことば」(6章13節)をやめない、と言われていることから、神殿と律法を冒涜した罪でステパノは告発されている。審問にあたる大祭司の「それはほんとうか」(1節)との問いへのステパノの返答は、アブラハムの召しからイエスの拒絶に至るまでの神の民の歴史に精通した者のそれであった。ステパノは、「兄弟たち、父たち」(2節)と呼びかけて、神殿、すなわち、神殿を取り仕切る者たちに敬意を払いながらも、神の民の歴史は神殿が建てられる遥か以前より神によって統治されていることを思い起こさせる。そして、イスラエルの歴史を振り返りながら、古くからあるイスラエルの人々の心の盲目さと頑なさとが、人々をして偽りの神々へと向かわせたと宣告する。神殿とそれに属するすべての儀式はいつまでも続くものではなく、宗教的運動に付随するつかの間の秩序であることを示す。このような内容の議論と率直さがもたらすものは目に見えて明らかであった。この答弁よって人々の怒りはステパノに向かって激しく燃え上がった。ステパノのことばが人々の心をのこぎりのように切り裂いたからである。天に召される時が近づくと、天からの幻がステパノに与えられた。聖霊に満たされたステパノは、神の右に座すイエスが神の右に立っている姿を見た。神の右の座にあるとは、イエスが神御自身と同等であることを示す。大勢の怒り狂った人々に捕らえられて町の外に引き出され、石打の刑が執り行われる中、ステパノは、十字架上のイエス同様、自分を石打にする人々を罪に定めないようにと神にとりなしをしながら眠りについた。