2011年6月2日木曜日

使徒の働き 7章

7章

ステパノが捕らえられてから、サンヘドリンで弁明し、殉教に至るまでが描かれている。7章の最後の記述は、ステパノが石打の刑を受ける中、天に召される姿で締めくくられている。石打による死亡と通常は理解されるが、「眠りについた」(60節)とあることから、石が当たる前には既に天に召されていた、とする説(David Guzik) も有力である。偽証人が立てられ、「聖なる所と律法とに逆らうことば」(6章13節)をやめない、と言われていることから、神殿と律法を冒涜した罪でステパノは告発されている。審問にあたる大祭司の「それはほんとうか」(1節)との問いへのステパノの返答は、アブラハムの召しからイエスの拒絶に至るまでの神の民の歴史に精通した者のそれであった。ステパノは、「兄弟たち、父たち」(2節)と呼びかけて、神殿、すなわち、神殿を取り仕切る者たちに敬意を払いながらも、神の民の歴史は神殿が建てられる遥か以前より神によって統治されていることを思い起こさせる。そして、イスラエルの歴史を振り返りながら、古くからあるイスラエルの人々の心の盲目さと頑なさとが、人々をして偽りの神々へと向かわせたと宣告する。神殿とそれに属するすべての儀式はいつまでも続くものではなく、宗教的運動に付随するつかの間の秩序であることを示す。このような内容の議論と率直さがもたらすものは目に見えて明らかであった。この答弁よって人々の怒りはステパノに向かって激しく燃え上がった。ステパノのことばが人々の心をのこぎりのように切り裂いたからである。天に召される時が近づくと、天からの幻がステパノに与えられた。聖霊に満たされたステパノは、神の右に座すイエスが神の右に立っている姿を見た。神の右の座にあるとは、イエスが神御自身と同等であることを示す。大勢の怒り狂った人々に捕らえられて町の外に引き出され、石打の刑が執り行われる中、ステパノは、十字架上のイエス同様、自分を石打にする人々を罪に定めないようにと神にとりなしをしながら眠りについた。

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