2011年5月31日火曜日

使徒の働き 6章

6章

この章では、教会の中で起きている出来事と、教会外の人々との境界線上で起きた出来事とがそれぞれ描かれている。教会内での出来事とは、配給に伴って起きた、ギリシャ語を使うユダヤ人とへブル語を使うユダヤ人とが対立しかけたという問題である。使徒たちには神のみことばを宣べつたえるという使命があるので、食卓のことに煩わされていてはならず、与えられた使命に専念するため、食卓のことに携わるための執事(ディアコノス=仕える者)を選んだ。選ばれた者たちはすべてギリシャ語を話すユダヤ人である。配給についての苦情はギリシャ語を話すユダヤ人から出てきたので、執事をギリシャ語を話す人たちから選んだことによって、問題の解決が容易になるという判断もあったと思うが、もちろん、そればかりではなく、この人たちは「御霊と知恵に満ちた評判の良い人たち」であり、やはり、この教会に仕えるために神に選ばれた人たちだったのである。この人事は、「こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで弟子たちの数が非常にふえて行った」(7節)という良い結果を生み出した。また、「多くの祭司たちが次々に信仰に入った」(7節)ことも目を引く。
 選ばれた執事の中でステパノは「恵みと力とに満ちた」(8節)、特に際立った人であった。ステパノの証しは、反対者の側からの激しい攻撃の的となった。攻撃されたのは主にステパノが「人々の間ですばらしいわざと不思議を行ってい」(8節)て人々の多くの好意を集めていたことから来るねたみからであって祭司職にからんでのものではなない。ステパノのケースは、この類の反対の最初のものである。リベルテンの会堂に属する者たちとは、奴隷から解放されたユダヤ人たちの集まりであるが、彼らは、民衆と長老たちと律法学者たちとを扇動してステパノたちを捕らえて議会に引っ張っていった(12節)。

使徒の働き 5章

5章

この章では恐るべき出来事が描かれている。アナニアとサッピラが行ったこととバルナバが行ったこととの間には明確な違いがある。アナニアとサッピラが犯した罪とは、聖霊に対して不正直なことを行った罪である。その罪に対して取られた処置は迅速、かつ、恐るべきものであった。
この処置によって人々の間には神への畏敬の念が生じ、それがために人々は、この新しく生まれた教会の交わりに安易に入って来ようとはしなくなった。こういった恐るべき出来事があったにもかかわらず、神の働きはさらに前進して行き、さらに多くの男女が主の交わりに加えられていった。
教会とそれに反対する勢力とはいまや互いに真正面から対峙することとなった。キリストの敵である勢力は遂に怒り燃え上がって騒ぎ立ち、行動を起こした。使徒たちを捕らえて牢に入れたのである。しかし、使徒たちは主の御使いの導きによって超自然的な方法で牢から解放された。そして、使徒たちはサンヘドリンの議員たちの前に現れた。一方の側は、サンヘドリンという、当時のユダヤでは最も高貴で威厳の備わった権威ある人々。そしてもう一方の側は、普通に考えるならば、人間的に見て、全く取るに足らない一握りの人々(cf. Ⅰコリント1:27-29)。教会を代表してペテロはサンヘドリンの前で証しした。サドカイ人たちは、このペテロの証しに対して激昂した。ガマリエルはパリサイ人だったので、サドカイ人たちの合理主義よりも使徒たちの教えの方により親近感を持った。そこでガマリエルは、使徒たちを放って置くようにとサンヘドリンを説得した。サンヘドリンはガマリエルの説得を受け容れたが、使徒たちを鞭打ち、イエスの教えをこれ以上語るなと脅した上で釈放した。使徒たちは、イエスの名によって辱められるに値する者となったことを喜びながら議会から出て行った。キリストと自分たちとの絆が強くなったことを確認することが出来たからである。

2011年5月26日木曜日

使徒の働き 4章

4章

夕方になって、祭司たち、宮の守衛長、サドカイ人たちがやって来てペテロとヨハネを捕らえた。ペテロとヨハネがイエスの復活を例に挙げて死者の復活のことを宣べ伝えて民に教えていたので困り果て、彼らを翌日まで留置することにしたのである(1-3節)。使徒の福音宣教への反対は主にサドカイ人たちによるものである。使徒が宣べ伝えた福音はサドカイ人たちの基本的な信念に反していた。サドカイ人たちは、死者の復活は無く、御使いも霊も無い(23:8)ということを信じていた。しかし、ペテロとヨハネの大胆なみことばの宣教によって、3000人だった信者の数が、男だけでもすでに5000人にも増えていた(4節)ために、人々の手前、サドカイ人たちはいったんは捕らえた使徒たちを罰することも留置することも出来ず、釈放せざるを得なかった(21節)。これは使徒たちが初めて法廷に呼び出されて裁判にかけられた事件ともいえるが、内容的には裁判というよりも尋問である。この尋問はユダヤのサンヘドリン、今日の日本的に言えば、ユダヤの最高裁判所によって行われたものである。サンヘドリンは通常、日中にのみ召集される。今日でもよく知られているアンナス、カヤパと言った大祭司の他に大祭司のヨハネ、アレクサンデルおよび大祭司の一族が皆出席し(6節)、また、日中にのみ召集されて業務が執り行われるはずのサンヘドリンが夕方になってから召集されるという異例の対応を取っていることから、これがユダヤの法秩序の最高権威にとっていかに重大な出来事であったかがうかがわれる。使徒たちの大胆な宣教はこのユダヤの法廷側を驚かせた。使徒たちが教育を受けた人たちではなく普通の人たちだったからである。また、法廷側はこの尋問によって使徒たちがイエスとともにいた事を知った。釈放された後使徒たちは仲間たちとともに祈った。そしてその時にも聖霊が彼らを満たした(31節)。この章の最後にはバルナバが登場する。バルナバは信仰によって土地を売り、神の働きのためにすべて捧げた。
  • サンヘドリンは通常、「議会」あるいは「最高議会」と訳される。ここで、「法廷」と訳したのは、司法権も有する機関だからである。「今日の日本的に言えば、ユダヤの最高裁判所」という表現で私はこれを説明しようとしたが、もちろん、それだけでうまく説明できるような機関ではない。構成人数は70人(71人とも)。サンヘドリンの構成員は、祭司、律法学者、長老で構成される。長老とは、祭司に自分の娘を嫁がせる権利を獲得した一般人のことである。起源はモーセの時代に遡るとも言われる。ローマ帝国治下のユダヤでは、帝国から委託された権限を行使して司法・立法・行政の三権を統括し、ユダヤの民政を施行する自治機関である。ローマの支配を受けてからは、死刑執行権が取り上げられたが、宮の中での冒涜罪についてはその限りではない。ローマの支配下では、通常、帝国から派遣された総督の監督下にある。しかし、ユダヤ王に支配が委ねられることもあった。総督は、ユダヤでは「剣の権」、すなわち、刑事裁判の全権を持ち、なおかつ、軍事、行政、経済の最高権威であるので、サンヘドリンは、あくまでも、総督の支配下にある自治的な民政機関に過ぎない。なお、サンヘドリンの長である大祭司は、ローマ帝国治下のユダヤでは民政の最高行政官である。ヘロデ大王の時代には王が大祭司の任免権を行使したので、現職の大祭司は世襲制ではないが、引退後も地位と権力が残ったので大祭司の職は事実上世襲制である。

2011年5月25日水曜日

使徒の働き 3章

3章

1-8節は、足のなえた男が「ナザレのイエス・キリストの名」によって癒された奇跡について記している。「足とくるぶしが強くなり、おどりあがってまっすぐに立ち、歩き出した」は医学用語で記述されており、足の関節が完全に外れていた状態が完全に正常な状態に復帰したことを示す。この出来事は「イエスの名」には大きな力と権威があることを示している。いやされた男は宮の美しの門で物乞いをしていた人であり、生まれつき足のきかない人であることが宮に来る人たちの間に知れ渡っていたので、この男が自分の身に神のみわざが起こったことを賛美し、歩いたりはねたりしているのを人々が見たときに神の奇跡が起きたことを知って驚いた。しかし、人々の目が「奇跡を行う器」に過ぎないペテロとヨハネに注がれ始めたので、ペテロは、自分たちではなく、奇跡のみわざを行った神に目を向けるように人々を促した。この奇跡を行ったのは宮に集まっている人々の信じている、「アブラハム、イサク、ヤコブの神」、すなわち、彼らの「父祖たちの神」に他ならず、そしてその神が「そのしもべイエス」に栄光を与えるためにイエスの名によってこの奇跡のみわざを行ったと語った(13-16節)。ペテロはすぐさまイエスの受難のいきさつを語ることによって人々に悔い改めを迫り、イエスの名によって神に立ち返ることを迫った。イエスの受難の出来事は全能なる神のご計画が行われたことによるものだが、それでも、イエスを十字架につけて殺した責任から神の民は逃れることが出来ない。全能の神のみわざによって行われることであっても、人が為した行為には必ず責任が伴うのである。

2011年5月24日火曜日

使徒の働き 2章

2章

1-4節は、聖霊が降り、教会が誕生する正にその瞬間を描いている。
「五旬節」とは「50日目の祭日」の意で、大麦の初穂の束をささげる日から数えて50日目に行われた(レビ23:15以下)ことから生まれたギリシャ語訳のペンテーコンタ・へーメラスの訳語である。ペンテコステとも言う。旧約聖書ではペンテコステの日に律法が与えられたが、新約では聖霊が与えられた(デイヴィッド・グーズィック David Guzik)。「みなが一つの所に集まっていた」(1節)のは、「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい」(1:4)というイエスのことばを守っていたからである。そして、イエスの約束どおり(1:5)聖霊が降った。「聖霊のバプテスマ」(1:5)とは、全身が水に浸かる「ヨハネのバプテスマ」(1:5)との対比であり、聖霊の中にその人全体が浸かる、すなわち、聖霊が降った人に聖霊が満たされることを意味する。聖霊が降ったときに大きな音がしたので(2、6節)大ぜいの人が集まって来た。そのときに弟子たちは、聖霊に導かれるままに、弟子たち自身は知らないが集まって来た人たちそれぞれが知っているそれぞれの出身地のことばで神の大きなみわざを語っていた。これは神の働きだが、この働きに対して信じる者とあざける者との二つに分かれるという反応が起きた。ペテロは弟子たちとともに立ち上がり、今彼らに起きた神のみわざについて集まって来た人たちに説明し、初めて、聖霊に満たされて神の福音を大胆に語った。その結果、その日のうちに3千人の人がバプテスマを受けて弟子に加えられた。新しく加えられた人たちは「弟子たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈り」(42節)、「いっさいの物を共有」(44節)、「心を一つにして宮に集まり」(46節)、「神を賛美」「すべての人に好意を持たれ」「主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった」(47節)。バベルの事件(創世記11:7-8)では、神が人のところに降って来て一つの言語を多くの言語に変えて人々を全地に散らしたが、ペンテコステでは、同じ神が聖霊として人のところに降り、バベルの事件以来多くに分かれた言語を用いて、今度は逆に人々を一つにするという、バベルの事件とは全く逆の結果をもたらしている(チャールズ・プライス Charles Price)。

2011年5月19日木曜日

使徒の働き 1章

 

1章

ルカは冒頭の節でこの書が「イエスが行い始め、教え始められたすべてのことについて」書かれているとのべている。宛名のテオピロは、テオ(神)+ピロ(愛する)=神を愛する者の意。クリスチャン全体を表わすコードネームとも個人名とも言われる。ルカの元主人で、ルカがパウロと行動をともにするのを許可した後、ルカが自分の元の主人宛に書き送ったとの説が有力。以降、ペンテコステ直前までの弟子たちの様子とイエスの昇天の様子とが述べられているが、これらはイエスの昇天から聖霊降臨までのわずかの間に起きた出来事である。弟子たちとともに集っていた人々の中に女性が含まれていることから、この群れが伝統的なユダヤ教会の群れとはすでに異なっていたことがうかがわれる。この群れに聖霊の導きが必要であることが、ユダが空けた使徒の欠員を補充する際に明らかになる。くじを用いるという方法については議論の余地があるが、このことも含めて人の行動や決断については以下のように理解すべきである。まず、組織の人事に時間がかかるのは、人は組織のための資源として神が創造されたわけではないという単純な事実に基づく。また、人は人を任命するが、神にのみ最終的決定権が委ねられている。人の考えや思いをはるかに超えた権威を持っておられる神はすべてを知り尽くした上ですべてを決めるからである。人は物事を決め、神はそれを容認もするが、人が自分の思いに基づく歩みを捨てて神を認め神のみこころを求めない限り、神の導きがその人の歩みを導くことはない。8節の「証人」とはギリシャ語のマルテュスの訳で「殉教者」の意(使22:20、黙2:13、17:6)。この書の実質的内容は初代教会に働く「聖霊の働き」の記録であり、聖霊はすべての時代を通して今にいたるまで働いておられる。したがって、この書は実際にはまだ完結していないとも言える。

政府ごっこ」の気は済んだかい? by 兵頭二十八

■「政府ごっこ」の気は済んだかい?

兵頭二十八サイトリンク

2011年04月16日 14:13
 14日、チャンネル桜の3時間討論の収録前に、渋谷の「電力館」でヒマ潰ししようと思ったら、閉まっていてガックリ。リニューアルが延期された模様だ。
 たぶん、展示・表示内容は、劇的に変更するしかないであろう、電力館も。

 それで、しょうがなく、集合時間より1時間も早くスタジオ下の待機室に行ってお茶をすすっていたところ、元原研理事長の斉藤さん、元原燃社長の竹内さん、元日立〔だったかな?〕の林さんがおそろいでお見えになったので、わたしは本番前にいくつかの質問をすることができたのは大収穫であった。

 3時間番組の内容は、土曜日の放送らしいから、興味ある人は御覧ください。ちなみに最初の60分間、わたしには発言のチャンスが一度もなかったので、録画で視聴しようという方は、開始後、2時間目以降から、特にご注目だ。

 早めにご報告をしなければならないことがある。わたしはこの日を境に、商用大規模原発の増設には賛成しないことを決めた。工事が進んでいる大間原発については、これから述べるようなオレの提案を電源開発さんがまじめに検討してくれるかどうかで態度を決めることとしよう。

 さきほど帰宅したばかりで、あまり整理もできてないが、縷々、説明しよう。

 日本人には、「エネルギー安全保障」が必要である。
 安くて豊富な電力なしでは、京浜地区の製造業は潰滅する。それは全日本人の権力(飢餓と不慮死の可能性からの遠さ)を減らすことにつながる。きちがい揃いの隣国から、自国を防衛することもできなくなってしまうのだ。

 人々の生活も、安楽にならない。特に光熱費を第二のエンゲル係数とみなす他ない北国では、火力発電にシフトして化石燃料の取引価格が高騰すれば、ダイレクトに貧窮化が進むだろう。

 日本の火力発電の臨時増強がなされる上に、シナ・印度の経済成長=エネルギー需要増は止まらず、中東動乱は長期的に終息せず、既知の油井は枯渇し、新規の採掘コストは漸増する。石油も天然ガスもじりじりと値上がりするはずだ。

 したがって国内の商用原発の一斉シャットダウンは、民を安んずる所以[ゆえん]ではない。
 では商用原発は安全かというと、この神話は2011-3-12を以って完全に崩れた。

 〈原発は、その原理から言って、原爆よりもコントロールし難くて危険〉という話を、オレはデビュー当時から活字にしてきている。しかし一方でオレはメーカーの説明も信じてきた。つまり、アメリカ発のコンセプトである軽水炉(核兵器用のプルトニウムを取り出せないというのがウリ)は、圧力容器と格納容器がものすごく頑丈なので、たといジャンボ・ジェットが墜落して激突したとしても、放射能災害だけは起こしませんよ、という説明だ。

 ところが、使用済み燃料の貯蔵プールは、格納容器の内側ではなく、建屋の天井裏に、蓋もなく、置かれていたのだ。すべて。建屋の壁や天井は、ペラペラであり、小型機が低速で突っ込んでも穴が開くだろう。

 ということは、シナ軍および韓国軍は、それぞれすでに実用化している長射程の巡航ミサイル〔弾頭は核弾頭ではなく、通常の軍用爆薬にすぎない。番組中、竹内氏はこれを誤解していたようだ〕を日本海の潜水艦から発射するだけで、太平洋岸の日本の原発の建屋を横から直撃して、使用済み燃料を爆発によって飛散せしめることも可能である。バラバラになって地面に落下した使用済み燃料からは「沃素131」が煙とともに立ち昇る。これで、現場近くには、しばらくは、誰も人が近寄れなくなってしまう。住民のうち40歳未満の人は、ただちにできるだけ遠くへ避難しなければならなくなる。日本の太平洋岸から人がいなくなってしまうだろう。

 日本海側に面して立っている軽水炉となれば、もっとヤバい。北鮮は巡航ミサイルを持っていないが、短射程の対艦戦術ミサイル(もちろん非核弾頭である)を多数、保有している。その弾頭の破壊力は、巡航ミサイルに劣らない。建屋にはかんたんに孔が開き、貯蔵プールを直撃すれば、使用済み燃料棒はバラバラに飛散するだろう。

 さらに、最近は巡航ミサイルの飛翔速度が超音速化する傾向にある。トマホーク級の巡航ミサイルの飛翔速度は、ジャンボジェットと略同じだった。したがってジャンボジェットよりも衝突時の運動エネルギーは小さい。しかし、これが超音速化すれば、衝突時の運動エネルギーは速度の二乗に比例して効いてくるから、ジャンボジェットに対しては安全であった格納容器や圧力容器が、損傷させられる可能性も出てくる。ヒビが入っただけでも、その原発は商用運転を続けられないであろう。

 米国はスリーマイル島の事故いらい新規原発を建設していないようだが、9.11の教訓から、この使用済み燃料貯蔵プールを、格納容器の内側の、しかも低いところに移すべきだと考えているようだ。最悪事態を想像しているのだ。

 しかるに日本で「第三世代原発」と呼ばれる最新鋭の改良型沸騰水式の大間原発でもこの配意はない。柏崎から進歩してないのだ。討論会に出ていらした菊池さんのお話によると、貯蔵プールの位置を半地下にした場合、クレーンではなくシューターを使って燃料棒を、圧力容器内から貯蔵プールへと移すことになるが、そのシューターの途中で万一、燃料棒がひっかかってしまったら、どうするかという難問が想像され、けっきょく貯蔵プールは高い位置にするしかなかったのだ、という。

 だったら、貯蔵プールは「装甲」で多重に囲むしか手はないはずだ。しかるに、それを考えた者が、誰もいないらしい。わたしはこれにあきれ果てたわけです。北鮮ですら持っているありふれた対艦ミサイルで、建屋の上部が狙われた場合、こんどの福島第一の騒ぎと同じことが再現されるのですよ。それを誰も考えなかったのか。ダメだこの人たちは! 任しておけないわ。

 もっとおどろいたのは、軽水炉原発を地下式、あるいは半地下式にすることは、不可能ではなかったのだそうです。最初っから……。しかし、それをやると建設費がやたらに増えてしまうので、採用しないのだそうです。
 安全よりも経済性を優先して、危険を呼んでいいわけないでしょ?

 「多々ますます便ず」式の経済性を追求し、リアクターを四つも七つも並べるというレイアウトも、ダメだということが、今次の事故でわかりましたよね。
 なにしろ、1基から「放射性の煙」が出ただけで、附近一帯、人が近づけなくなってしまう。安全管理やバックアップをすべき立場の職員も、みんな一斉に職場放棄しなくちゃならないわけです。話にならない。

 リアクターを複数並べる原発は、3-12以後の日本では、もう計画なんて許されるものじゃない。
 ということは、大出力商用原発も、もはや計画は不可能である。単基、半地下式の小型原発の、コストとパフォーマンスを比較した経済性は、天然ガスを燃やすガスタービン火力発電所にくらべて、あるいは最新世代の石炭火力発電所にくらべて、歴然と、不利でしょう。

 わたしは例の田母神騒動の年いらい、「核武装論者」ではありません。あの田母神氏とその支持者の言動を見、日本人には「核抑止ゲーム」のような高度な近代的な政治芸術はとうてい不可能であったとわたしは悟ったからです。日本のインテリ民度が、近代政治の力量に著しく欠けているのだから誰にもどうしようもないでしょう。

 そして今回、わたしは原発推進論からも蝉脱しました。
 エリートだと思っていた原発一家は、じつは、あったりまえの「戦時」防護措置をあらかじめ考えておくという智恵も回らぬ、人民に対して甚だ無責任な連中だったのです。

 こうなってしまった謎は簡単で、レーニンが看破したように、電力は工業を支配するからです。蒸汽力ではなく、電気モーターで工場を動かすのが、近代強国です。
 そして支那事変以降、陸軍統制派(隠れマルキスト)の統制経済がすすめられ、日本国内の電力事業者は強制的に統合させられ、その体制が戦後まで継続し、京浜工業地帯の工場主の死命の権を東電一社が握るようになった。
 競争が働かないうえに誰からも逆らわれない絶対君主だものだから、じぶんたちがいちばん儲かる原発スキームをつくりあげ、みずから腐ったという次第なのです。

 地熱(温泉業者と利益が背反しない方法がある)とか、波力の開発に十分なおカネが回されなかったのは、素人目にはいかにも不思議です。歴代政府の、代替エネルギー開発戦略に、「ヘッジ」がなさすぎました。しかしこれも、種が明かされてしまえば単純な話で、東電や原発エリート一家が未来永劫、いちばん得をするスキームじゃないものは、その一家によって排除されたまでなのでしょう。原発こそが、彼らが得をする「マトリックス」だったのです。
 米国で石油業界が占めている「工業の王様」の地位を、日本では原発一家が占めんとした。しかしこのスキームも、もうおしまいです。

 こんご、許される原発研究は、ポータブルな超小型原発や、「固有安全性」を有する第四世代原発(斉藤さんによれば、今、カザフに建てているような高温ガス炉は、まだ「第四世代」とは呼べないのだそうです)の試験などに限定されるでしょう。第四世代原発ができるまでには30年はかかるでしょうが、用意周到な共同体にとっては30年などあっという間です。30年後にはシナ人とインド人の一人あたりの化石燃料消費量がいまの北米並になっているかもしれません。となるとガソリンなどはリッター1万円になっていてもおかしくありません。そのとき、わたしたちの子孫を極端に貧窮化させ、自存自衛もできなくさせてしまうのが面白くないと思うならば、第四世代原発の技術研究まで今からオプションから外してしまうのは、間違っているでしょう。

 これから3年間が、日本の人民にとっての苦難の日になります。
 というのは、50ヘルツ→60ヘルツ変換の設備の増強や、高圧直流送電ケーブルの新設は、お役所手続きに従ってやっていると、3年くらいかかってしまう。日本の内閣総理大臣にFDRのような指導力があれば2年以内の突貫工事だって可能ですが、いまの日本には「政府」すら存在しません。「政府ごっこ」があるだけなんだから。

 この3年の悪夢をすこしでも短縮する方法は、あります。「民活」です。
 東電以外の電力会社が、京浜地区の工場に対して、独自の給電ケーブルで、デュアル給電できるように、するだけでよいのです。
 関西電力や中部電力、北陸電力などにとっては、これは大いに儲かる話ですから、最大スピードでつくってしまいますよ。そこからは、健全な競争も、始まります。
 もちろん東電は百の屁理屈を掲げ、総力を挙げて反対するでしょうけどね。

 安い夜間電力を溜めておいて、昼間に使う方法も、いろいろあり得ますが、これまた歴代政府の「ヘッジ」がなさすぎて、すぐにモノになるかどうかはわからない。しかし、やるしかないでしょう。たとえばフライホイール。また、酸化還元物質の液体プールを地下につくって、それを「巨大バッテリー」にする方法も、外国で提案されています。
 こうして夜間に「蓄電」した電力を昼間、工場に対して自由に売ってよい、という「規制緩和」が必要です。それによってベンチャーの「蓄電屋」が簇生し、彼らがあっという真に京浜工業地帯の夏の電力問題を解決してくれますよ。

 京浜の大工場が、自前でコジェネ発電して、少し電力が余ってしまったのを、隣の工場に売る。こういう商売も、工場限定(つまり一般住宅は対象とさせない)で、どんどん許すことです。またそうした工場間の「売電」の斡旋をするベンチャー企業も、許すことです。

 そうした新商売は、民間工場も助けるし、日本政府には税収増になるし、景気はよくなるし、雇用は増え、よいことばかりです。
 天然ガスを燃やしてガスタービン発電してその電気を京浜の契約工場に売る、そういう商売も、東電以外の新規参入会社に対して、自由化してやることです。ミニ火力発電所を海上、つまり船や筏の上に置くことも自由化することです。それやこれやで、規制緩和をすすめたら、3年もせずに、日本の電力不足は解消してしまうでしょう。復興増税の必要はありません。

 石炭火力発電所も、できれば日本中に分散的に多数、建設する必要があります。天災や人災のリスクを抑制する最善の策は、あらかじめ、発電所を徹底的に分散しておくことだ、というのが今次の教訓ですから。もちろん京都議定書からは「一抜けた」。誰も文句はいわんでしょう。

 壊滅した東北地方の産業は、苫小牧に移すことです。人もいっしょに、です。すでに漁業者の一部は、道東に移転をはじめましたね。商売道具が漁船だから、なじみの寄港地に身を寄せやすいのです。農業だって工業だって、北海道には収容の余地がありますよ。

 1999のJOC臨界事故の直後につくられた、原発災害用というロボットに、放射線に強い「ガリウム砒素」チップを使っていないなんて、粗忽にも程がありますよね。これを発注し受領している諸機関にも、原発を扱う資格なんてないでしょう。
 また、ロボットの足回りが、「ガレキ」を克服できるものではなくて、ガレキが存在すると、もうそこから先へは進めない、というのも、お話になりません。つまり彼らは「テロ」を予想していなかった。終わってます。最初から終わってます。日本の原発専門家に、原発を運用する資格はなかったのです。


※兵頭先生より何故か書き込みができないため、管理人が書き込みしております。
↓で兵頭先生の軍事ニュース紹介が読めますよ。
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