2011年5月26日木曜日

使徒の働き 4章

4章

夕方になって、祭司たち、宮の守衛長、サドカイ人たちがやって来てペテロとヨハネを捕らえた。ペテロとヨハネがイエスの復活を例に挙げて死者の復活のことを宣べ伝えて民に教えていたので困り果て、彼らを翌日まで留置することにしたのである(1-3節)。使徒の福音宣教への反対は主にサドカイ人たちによるものである。使徒が宣べ伝えた福音はサドカイ人たちの基本的な信念に反していた。サドカイ人たちは、死者の復活は無く、御使いも霊も無い(23:8)ということを信じていた。しかし、ペテロとヨハネの大胆なみことばの宣教によって、3000人だった信者の数が、男だけでもすでに5000人にも増えていた(4節)ために、人々の手前、サドカイ人たちはいったんは捕らえた使徒たちを罰することも留置することも出来ず、釈放せざるを得なかった(21節)。これは使徒たちが初めて法廷に呼び出されて裁判にかけられた事件ともいえるが、内容的には裁判というよりも尋問である。この尋問はユダヤのサンヘドリン、今日の日本的に言えば、ユダヤの最高裁判所によって行われたものである。サンヘドリンは通常、日中にのみ召集される。今日でもよく知られているアンナス、カヤパと言った大祭司の他に大祭司のヨハネ、アレクサンデルおよび大祭司の一族が皆出席し(6節)、また、日中にのみ召集されて業務が執り行われるはずのサンヘドリンが夕方になってから召集されるという異例の対応を取っていることから、これがユダヤの法秩序の最高権威にとっていかに重大な出来事であったかがうかがわれる。使徒たちの大胆な宣教はこのユダヤの法廷側を驚かせた。使徒たちが教育を受けた人たちではなく普通の人たちだったからである。また、法廷側はこの尋問によって使徒たちがイエスとともにいた事を知った。釈放された後使徒たちは仲間たちとともに祈った。そしてその時にも聖霊が彼らを満たした(31節)。この章の最後にはバルナバが登場する。バルナバは信仰によって土地を売り、神の働きのためにすべて捧げた。
  • サンヘドリンは通常、「議会」あるいは「最高議会」と訳される。ここで、「法廷」と訳したのは、司法権も有する機関だからである。「今日の日本的に言えば、ユダヤの最高裁判所」という表現で私はこれを説明しようとしたが、もちろん、それだけでうまく説明できるような機関ではない。構成人数は70人(71人とも)。サンヘドリンの構成員は、祭司、律法学者、長老で構成される。長老とは、祭司に自分の娘を嫁がせる権利を獲得した一般人のことである。起源はモーセの時代に遡るとも言われる。ローマ帝国治下のユダヤでは、帝国から委託された権限を行使して司法・立法・行政の三権を統括し、ユダヤの民政を施行する自治機関である。ローマの支配を受けてからは、死刑執行権が取り上げられたが、宮の中での冒涜罪についてはその限りではない。ローマの支配下では、通常、帝国から派遣された総督の監督下にある。しかし、ユダヤ王に支配が委ねられることもあった。総督は、ユダヤでは「剣の権」、すなわち、刑事裁判の全権を持ち、なおかつ、軍事、行政、経済の最高権威であるので、サンヘドリンは、あくまでも、総督の支配下にある自治的な民政機関に過ぎない。なお、サンヘドリンの長である大祭司は、ローマ帝国治下のユダヤでは民政の最高行政官である。ヘロデ大王の時代には王が大祭司の任免権を行使したので、現職の大祭司は世襲制ではないが、引退後も地位と権力が残ったので大祭司の職は事実上世襲制である。

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