ALL FOR HIS GLORY
Whether therefore ye eat, or drink, or whatsoever ye do, do all to the glory of God. - I Corinthians 10:31 - こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光のためにしなさい - コリント人への手紙第一10章31節 -
2011年6月16日木曜日
2011年6月2日木曜日
使徒の働き 7章
7章
ステパノが捕らえられてから、サンヘドリンで弁明し、殉教に至るまでが描かれている。7章の最後の記述は、ステパノが石打の刑を受ける中、天に召される姿で締めくくられている。石打による死亡と通常は理解されるが、「眠りについた」(60節)とあることから、石が当たる前には既に天に召されていた、とする説(David Guzik) も有力である。偽証人が立てられ、「聖なる所と律法とに逆らうことば」(6章13節)をやめない、と言われていることから、神殿と律法を冒涜した罪でステパノは告発されている。審問にあたる大祭司の「それはほんとうか」(1節)との問いへのステパノの返答は、アブラハムの召しからイエスの拒絶に至るまでの神の民の歴史に精通した者のそれであった。ステパノは、「兄弟たち、父たち」(2節)と呼びかけて、神殿、すなわち、神殿を取り仕切る者たちに敬意を払いながらも、神の民の歴史は神殿が建てられる遥か以前より神によって統治されていることを思い起こさせる。そして、イスラエルの歴史を振り返りながら、古くからあるイスラエルの人々の心の盲目さと頑なさとが、人々をして偽りの神々へと向かわせたと宣告する。神殿とそれに属するすべての儀式はいつまでも続くものではなく、宗教的運動に付随するつかの間の秩序であることを示す。このような内容の議論と率直さがもたらすものは目に見えて明らかであった。この答弁よって人々の怒りはステパノに向かって激しく燃え上がった。ステパノのことばが人々の心をのこぎりのように切り裂いたからである。天に召される時が近づくと、天からの幻がステパノに与えられた。聖霊に満たされたステパノは、神の右に座すイエスが神の右に立っている姿を見た。神の右の座にあるとは、イエスが神御自身と同等であることを示す。大勢の怒り狂った人々に捕らえられて町の外に引き出され、石打の刑が執り行われる中、ステパノは、十字架上のイエス同様、自分を石打にする人々を罪に定めないようにと神にとりなしをしながら眠りについた。2011年5月31日火曜日
使徒の働き 6章
6章
この章では、教会の中で起きている出来事と、教会外の人々との境界線上で起きた出来事とがそれぞれ描かれている。教会内での出来事とは、配給に伴って起きた、ギリシャ語を使うユダヤ人とへブル語を使うユダヤ人とが対立しかけたという問題である。使徒たちには神のみことばを宣べつたえるという使命があるので、食卓のことに煩わされていてはならず、与えられた使命に専念するため、食卓のことに携わるための執事(ディアコノス=仕える者)を選んだ。選ばれた者たちはすべてギリシャ語を話すユダヤ人である。配給についての苦情はギリシャ語を話すユダヤ人から出てきたので、執事をギリシャ語を話す人たちから選んだことによって、問題の解決が容易になるという判断もあったと思うが、もちろん、そればかりではなく、この人たちは「御霊と知恵に満ちた評判の良い人たち」であり、やはり、この教会に仕えるために神に選ばれた人たちだったのである。この人事は、「こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで弟子たちの数が非常にふえて行った」(7節)という良い結果を生み出した。また、「多くの祭司たちが次々に信仰に入った」(7節)ことも目を引く。選ばれた執事の中でステパノは「恵みと力とに満ちた」(8節)、特に際立った人であった。ステパノの証しは、反対者の側からの激しい攻撃の的となった。攻撃されたのは主にステパノが「人々の間ですばらしいわざと不思議を行ってい」(8節)て人々の多くの好意を集めていたことから来るねたみからであって祭司職にからんでのものではなない。ステパノのケースは、この類の反対の最初のものである。リベルテンの会堂に属する者たちとは、奴隷から解放されたユダヤ人たちの集まりであるが、彼らは、民衆と長老たちと律法学者たちとを扇動してステパノたちを捕らえて議会に引っ張っていった(12節)。
使徒の働き 5章
5章
この章では恐るべき出来事が描かれている。アナニアとサッピラが行ったこととバルナバが行ったこととの間には明確な違いがある。アナニアとサッピラが犯した罪とは、聖霊に対して不正直なことを行った罪である。その罪に対して取られた処置は迅速、かつ、恐るべきものであった。この処置によって人々の間には神への畏敬の念が生じ、それがために人々は、この新しく生まれた教会の交わりに安易に入って来ようとはしなくなった。こういった恐るべき出来事があったにもかかわらず、神の働きはさらに前進して行き、さらに多くの男女が主の交わりに加えられていった。
教会とそれに反対する勢力とはいまや互いに真正面から対峙することとなった。キリストの敵である勢力は遂に怒り燃え上がって騒ぎ立ち、行動を起こした。使徒たちを捕らえて牢に入れたのである。しかし、使徒たちは主の御使いの導きによって超自然的な方法で牢から解放された。そして、使徒たちはサンヘドリンの議員たちの前に現れた。一方の側は、サンヘドリンという、当時のユダヤでは最も高貴で威厳の備わった権威ある人々。そしてもう一方の側は、普通に考えるならば、人間的に見て、全く取るに足らない一握りの人々(cf. Ⅰコリント1:27-29)。教会を代表してペテロはサンヘドリンの前で証しした。サドカイ人たちは、このペテロの証しに対して激昂した。ガマリエルはパリサイ人だったので、サドカイ人たちの合理主義よりも使徒たちの教えの方により親近感を持った。そこでガマリエルは、使徒たちを放って置くようにとサンヘドリンを説得した。サンヘドリンはガマリエルの説得を受け容れたが、使徒たちを鞭打ち、イエスの教えをこれ以上語るなと脅した上で釈放した。使徒たちは、イエスの名によって辱められるに値する者となったことを喜びながら議会から出て行った。キリストと自分たちとの絆が強くなったことを確認することが出来たからである。
2011年5月26日木曜日
使徒の働き 4章
4章
夕方になって、祭司たち、宮の守衛長、サドカイ人たちがやって来てペテロとヨハネを捕らえた。ペテロとヨハネがイエスの復活を例に挙げて死者の復活のことを宣べ伝えて民に教えていたので困り果て、彼らを翌日まで留置することにしたのである(1-3節)。使徒の福音宣教への反対は主にサドカイ人たちによるものである。使徒が宣べ伝えた福音はサドカイ人たちの基本的な信念に反していた。サドカイ人たちは、死者の復活は無く、御使いも霊も無い(23:8)ということを信じていた。しかし、ペテロとヨハネの大胆なみことばの宣教によって、3000人だった信者の数が、男だけでもすでに5000人にも増えていた(4節)ために、人々の手前、サドカイ人たちはいったんは捕らえた使徒たちを罰することも留置することも出来ず、釈放せざるを得なかった(21節)。これは使徒たちが初めて法廷に呼び出されて裁判にかけられた事件ともいえるが、内容的には裁判というよりも尋問である。この尋問はユダヤのサンヘドリン、今日の日本的に言えば、ユダヤの最高裁判所によって行われたものである。サンヘドリンは通常、日中にのみ召集される。今日でもよく知られているアンナス、カヤパと言った大祭司の他に大祭司のヨハネ、アレクサンデルおよび大祭司の一族が皆出席し(6節)、また、日中にのみ召集されて業務が執り行われるはずのサンヘドリンが夕方になってから召集されるという異例の対応を取っていることから、これがユダヤの法秩序の最高権威にとっていかに重大な出来事であったかがうかがわれる。使徒たちの大胆な宣教はこのユダヤの法廷側を驚かせた。使徒たちが教育を受けた人たちではなく普通の人たちだったからである。また、法廷側はこの尋問によって使徒たちがイエスとともにいた事を知った。釈放された後使徒たちは仲間たちとともに祈った。そしてその時にも聖霊が彼らを満たした(31節)。この章の最後にはバルナバが登場する。バルナバは信仰によって土地を売り、神の働きのためにすべて捧げた。- サンヘドリンは通常、「議会」あるいは「最高議会」と訳される。ここで、「法廷」と訳したのは、司法権も有する機関だからである。「今日の日本的に言えば、ユダヤの最高裁判所」という表現で私はこれを説明しようとしたが、もちろん、それだけでうまく説明できるような機関ではない。構成人数は70人(71人とも)。サンヘドリンの構成員は、祭司、律法学者、長老で構成される。長老とは、祭司に自分の娘を嫁がせる権利を獲得した一般人のことである。起源はモーセの時代に遡るとも言われる。ローマ帝国治下のユダヤでは、帝国から委託された権限を行使して司法・立法・行政の三権を統括し、ユダヤの民政を施行する自治機関である。ローマの支配を受けてからは、死刑執行権が取り上げられたが、宮の中での冒涜罪についてはその限りではない。ローマの支配下では、通常、帝国から派遣された総督の監督下にある。しかし、ユダヤ王に支配が委ねられることもあった。総督は、ユダヤでは「剣の権」、すなわち、刑事裁判の全権を持ち、なおかつ、軍事、行政、経済の最高権威であるので、サンヘドリンは、あくまでも、総督の支配下にある自治的な民政機関に過ぎない。なお、サンヘドリンの長である大祭司は、ローマ帝国治下のユダヤでは民政の最高行政官である。ヘロデ大王の時代には王が大祭司の任免権を行使したので、現職の大祭司は世襲制ではないが、引退後も地位と権力が残ったので大祭司の職は事実上世襲制である。
2011年5月25日水曜日
使徒の働き 3章
3章
1-8節は、足のなえた男が「ナザレのイエス・キリストの名」によって癒された奇跡について記している。「足とくるぶしが強くなり、おどりあがってまっすぐに立ち、歩き出した」は医学用語で記述されており、足の関節が完全に外れていた状態が完全に正常な状態に復帰したことを示す。この出来事は「イエスの名」には大きな力と権威があることを示している。いやされた男は宮の美しの門で物乞いをしていた人であり、生まれつき足のきかない人であることが宮に来る人たちの間に知れ渡っていたので、この男が自分の身に神のみわざが起こったことを賛美し、歩いたりはねたりしているのを人々が見たときに神の奇跡が起きたことを知って驚いた。しかし、人々の目が「奇跡を行う器」に過ぎないペテロとヨハネに注がれ始めたので、ペテロは、自分たちではなく、奇跡のみわざを行った神に目を向けるように人々を促した。この奇跡を行ったのは宮に集まっている人々の信じている、「アブラハム、イサク、ヤコブの神」、すなわち、彼らの「父祖たちの神」に他ならず、そしてその神が「そのしもべイエス」に栄光を与えるためにイエスの名によってこの奇跡のみわざを行ったと語った(13-16節)。ペテロはすぐさまイエスの受難のいきさつを語ることによって人々に悔い改めを迫り、イエスの名によって神に立ち返ることを迫った。イエスの受難の出来事は全能なる神のご計画が行われたことによるものだが、それでも、イエスを十字架につけて殺した責任から神の民は逃れることが出来ない。全能の神のみわざによって行われることであっても、人が為した行為には必ず責任が伴うのである。2011年5月24日火曜日
使徒の働き 2章
2章
1-4節は、聖霊が降り、教会が誕生する正にその瞬間を描いている。「五旬節」とは「50日目の祭日」の意で、大麦の初穂の束をささげる日から数えて50日目に行われた(レビ23:15以下)ことから生まれたギリシャ語訳のペンテーコンタ・へーメラスの訳語である。ペンテコステとも言う。旧約聖書ではペンテコステの日に律法が与えられたが、新約では聖霊が与えられた(デイヴィッド・グーズィック David Guzik)。「みなが一つの所に集まっていた」(1節)のは、「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい」(1:4)というイエスのことばを守っていたからである。そして、イエスの約束どおり(1:5)聖霊が降った。「聖霊のバプテスマ」(1:5)とは、全身が水に浸かる「ヨハネのバプテスマ」(1:5)との対比であり、聖霊の中にその人全体が浸かる、すなわち、聖霊が降った人に聖霊が満たされることを意味する。聖霊が降ったときに大きな音がしたので(2、6節)大ぜいの人が集まって来た。そのときに弟子たちは、聖霊に導かれるままに、弟子たち自身は知らないが集まって来た人たちそれぞれが知っているそれぞれの出身地のことばで神の大きなみわざを語っていた。これは神の働きだが、この働きに対して信じる者とあざける者との二つに分かれるという反応が起きた。ペテロは弟子たちとともに立ち上がり、今彼らに起きた神のみわざについて集まって来た人たちに説明し、初めて、聖霊に満たされて神の福音を大胆に語った。その結果、その日のうちに3千人の人がバプテスマを受けて弟子に加えられた。新しく加えられた人たちは「弟子たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈り」(42節)、「いっさいの物を共有」(44節)、「心を一つにして宮に集まり」(46節)、「神を賛美」「すべての人に好意を持たれ」「主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった」(47節)。バベルの事件(創世記11:7-8)では、神が人のところに降って来て一つの言語を多くの言語に変えて人々を全地に散らしたが、ペンテコステでは、同じ神が聖霊として人のところに降り、バベルの事件以来多くに分かれた言語を用いて、今度は逆に人々を一つにするという、バベルの事件とは全く逆の結果をもたらしている(チャールズ・プライス Charles Price)。
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